正論が無視されている。(緊張感のない国会)
2026年 02月 28日
総選挙を大勝し、一段と鼻息が荒くなった総理だったが、
通常国会で本格的な議論が始まる直前だというのに、
総理の周辺で、なんともはやお粗末な失態が・・・ 立て続けに起こっている。
まずは22日、島根で行われた「竹島の日」の記念式典で、
昨秋の総裁選のときには、閣僚を派遣すると息巻いていた総理だったが、
その結果は全くもって腰砕けで、大臣どころか副大臣でもなく政務官の出席だから、
当てが外れた主催者のコメントが・・・ なんともはや虚しく聞こえてきた。
このような過去の言動と今後の対応が、言行不一致になることを恐れたのであろう、
自らのホームページに、思いの丈を綴ってきたコラムを削除したというから、
なにをそんなに警戒してるのか、知る由もないが、
穿った見方をすれば、脛に傷持っている者だと吐露したに等しい。
揚げ足取りされないよう、細心の注意を払ったのだろうが、事態は思惑どおりに行かず、
総選挙で当選した315名に・・・ ベテラン、新人、裏金などの区別なく、
自らが支部長を務める政党支部から、
総額で約1,000万円のカタログギフトを配っていたことが発覚してしまった。
総理は直ぐさまSNSや答弁で「政党支部から議員個人への寄付は法律上問題なく、
政党交付金(税金)を使っておらず、社会通念上認められた行為だ。」と開き直ったが、
年度内成立を目指すとしていた予算審議を前にして・・・ これだから、
いきなりの急ブレーキというか、自ら埋めた地雷を派手に踏んでしまったようである。
政党交付金ではないと強弁したが、財布は一つのはずであり、カネに色は付いてないし、
配布されたカタログギフトには・・・ 丁寧に熨斗が付けられていて、
支部長の肩書きなしで、総理の名前だけがフルネームが書いてあったんだから、
政党支部だと云っても、もらった議員は総理からのいただき物だと思っているだろう。
思い起こせば昨年、総理が支部長を務める支部で高額な献金を受けていたことが発覚し、
「私個人への献金ではなく、たまたま私が支部長だっただけ」と答弁していたが、
その答弁と比較すれば、熨斗に総理の名前を記しておいて、
政党支部からというのは・・・ 言行不一致だと云わざる得ない。
法律上の疑義については、言葉巧みにすりのけたようにも思うが、
仮に法律上の問題がなかったとしても、それが良識なのかという視点で直視すれば、
「政治とカネ」問題の解決に後ろ向きで、遅々として議論が進まないなか、
良識を無視したと捉えても、過言ではないと思うが・・・ 如何なものだろうか?
まっ、いろいろあるが、先の総選挙の結果を踏まえれば・・・ それが民意だから、
「政治とカネ」の問題はすでに終ったことになってしまい、
それが推し活総選挙の成果だとしたら・・・ いささか投げやりになってしまうが、
この国の政界に特化してフォーカスすれば、
学歴や肩書きに、良識と教養が比例していないと捉えるしかないのだろう。
そこまで言ったら、飛躍しすぎているとの批判を受けてしまいそうだが、
この国の民意が、批判することを禁忌とし・・・ 拒むのであれば、
政策を比較しながら、議論を経て決定に至る、健全な民主主義は成立しなくなるだろう。
然は然り乍ら(さはさりながら)・・・ 自分の思いどおりじゃないからと云って、
一旦下された民意に、イチャモン付けるつもりもないが、
推し活選挙というパワーワードに浮かれて、国民的な熱狂が形成されると、
以前にも記したことのある、故・半藤一利さんの「昭和史」に綴られた一節を思い出す。
それは・・・ 「国民的熱狂をつくってはいけない。」であり、
「国民的熱狂にながされてしまってはいけない。」という一節だった。
著者曰く・・・ 熱狂というものは理性的なものではなく、
感情から生まれた産物であって、
マスコミ(SNSも含まれるだろう)に煽られた熱狂が、権威を持ち始めると、
いつしかその熱狂が、不動のものであるかのように人々を引っ張って行くとあった。
この教訓を・・・ 現代社会に置き換えてみれば、
メディアの中立性や、SNSの信憑性が、担保されているか否かであり、
切り取り報道や、偏向報道から誘引されるプロパガンダが危惧される。
さらに著者は「最大の危機において、(当時の)日本人は抽象的な観念論を好み、
理性的な方法論を検討しようとしない(しなかった)。」と、声高に指摘している。
日本人は自分にとって望ましい目標を設定し、巧みで壮大な設計図を描くのが得意で、
ものごとは必ず、自らが望むとおりに動き、進むと考える者が多く、
さし迫った危機に遭遇すると・・・ 主観的な判断が優先されてしまい、
客観的な判断ができなくなる(できなかった。)とあった。
今回の総選挙の結果は、民意として受けとめざる得ないと理解はしているものの、
1票を投じた国民の思いは・・・ 現状をどうみているのだろうか?
恣意的に排除の論理で構成されたメンバーだけで・・・ 見切り発車した国民会議や、
さらには、あからさまに驕りが見えてしまった国会運営や、
緊張感を欠いてしまった国会審議を・・・ 国美香は期待していたのだろうか?
野党議員からの質問を、斜に構えて睨み付け、
ニヒルな含み笑いで、ぶっきらぼうに応じる総理を見ていて、
「なんか違うな。」と感じているのは・・・ 私だけではないとだろう。
「歴史は勝者によって作られる。」という史実が、これまでの習わしではあったが、
共産主義や覇権主義のような、武力と恐怖を背景にした国家ならいざ知らず、
さまざまな視点から記録が残される、21世紀の成熟した民主主義国家だということを、
自覚していただきたいと思うが・・・ 如何なものだろうか?
「政治家とは歴史という名の法廷で裁かれる被告である。」が口癖の元総理がいたが、
いまさらながら、こういった言葉に強い説得力と、妙に納得感を感じてしまうんだから、
やっぱり歴史に学ばなくちゃってことなのかも・・・ なんて、思ったりしている。
通常国会で本格的な議論が始まる直前だというのに、
総理の周辺で、なんともはやお粗末な失態が・・・ 立て続けに起こっている。
まずは22日、島根で行われた「竹島の日」の記念式典で、
昨秋の総裁選のときには、閣僚を派遣すると息巻いていた総理だったが、
その結果は全くもって腰砕けで、大臣どころか副大臣でもなく政務官の出席だから、
当てが外れた主催者のコメントが・・・ なんともはや虚しく聞こえてきた。
このような過去の言動と今後の対応が、言行不一致になることを恐れたのであろう、
自らのホームページに、思いの丈を綴ってきたコラムを削除したというから、
なにをそんなに警戒してるのか、知る由もないが、
穿った見方をすれば、脛に傷持っている者だと吐露したに等しい。
揚げ足取りされないよう、細心の注意を払ったのだろうが、事態は思惑どおりに行かず、
総選挙で当選した315名に・・・ ベテラン、新人、裏金などの区別なく、
自らが支部長を務める政党支部から、
総額で約1,000万円のカタログギフトを配っていたことが発覚してしまった。
総理は直ぐさまSNSや答弁で「政党支部から議員個人への寄付は法律上問題なく、
政党交付金(税金)を使っておらず、社会通念上認められた行為だ。」と開き直ったが、
年度内成立を目指すとしていた予算審議を前にして・・・ これだから、
いきなりの急ブレーキというか、自ら埋めた地雷を派手に踏んでしまったようである。
政党交付金ではないと強弁したが、財布は一つのはずであり、カネに色は付いてないし、
配布されたカタログギフトには・・・ 丁寧に熨斗が付けられていて、
支部長の肩書きなしで、総理の名前だけがフルネームが書いてあったんだから、
政党支部だと云っても、もらった議員は総理からのいただき物だと思っているだろう。
思い起こせば昨年、総理が支部長を務める支部で高額な献金を受けていたことが発覚し、
「私個人への献金ではなく、たまたま私が支部長だっただけ」と答弁していたが、
その答弁と比較すれば、熨斗に総理の名前を記しておいて、
政党支部からというのは・・・ 言行不一致だと云わざる得ない。
法律上の疑義については、言葉巧みにすりのけたようにも思うが、
仮に法律上の問題がなかったとしても、それが良識なのかという視点で直視すれば、
「政治とカネ」問題の解決に後ろ向きで、遅々として議論が進まないなか、
良識を無視したと捉えても、過言ではないと思うが・・・ 如何なものだろうか?
まっ、いろいろあるが、先の総選挙の結果を踏まえれば・・・ それが民意だから、
「政治とカネ」の問題はすでに終ったことになってしまい、
それが推し活総選挙の成果だとしたら・・・ いささか投げやりになってしまうが、
この国の政界に特化してフォーカスすれば、
学歴や肩書きに、良識と教養が比例していないと捉えるしかないのだろう。
そこまで言ったら、飛躍しすぎているとの批判を受けてしまいそうだが、
この国の民意が、批判することを禁忌とし・・・ 拒むのであれば、
政策を比較しながら、議論を経て決定に至る、健全な民主主義は成立しなくなるだろう。
然は然り乍ら(さはさりながら)・・・ 自分の思いどおりじゃないからと云って、
一旦下された民意に、イチャモン付けるつもりもないが、
推し活選挙というパワーワードに浮かれて、国民的な熱狂が形成されると、
以前にも記したことのある、故・半藤一利さんの「昭和史」に綴られた一節を思い出す。
それは・・・ 「国民的熱狂をつくってはいけない。」であり、
「国民的熱狂にながされてしまってはいけない。」という一節だった。
著者曰く・・・ 熱狂というものは理性的なものではなく、
感情から生まれた産物であって、
マスコミ(SNSも含まれるだろう)に煽られた熱狂が、権威を持ち始めると、
いつしかその熱狂が、不動のものであるかのように人々を引っ張って行くとあった。
この教訓を・・・ 現代社会に置き換えてみれば、
メディアの中立性や、SNSの信憑性が、担保されているか否かであり、
切り取り報道や、偏向報道から誘引されるプロパガンダが危惧される。
さらに著者は「最大の危機において、(当時の)日本人は抽象的な観念論を好み、
理性的な方法論を検討しようとしない(しなかった)。」と、声高に指摘している。
日本人は自分にとって望ましい目標を設定し、巧みで壮大な設計図を描くのが得意で、
ものごとは必ず、自らが望むとおりに動き、進むと考える者が多く、
さし迫った危機に遭遇すると・・・ 主観的な判断が優先されてしまい、
客観的な判断ができなくなる(できなかった。)とあった。
今回の総選挙の結果は、民意として受けとめざる得ないと理解はしているものの、
1票を投じた国民の思いは・・・ 現状をどうみているのだろうか?
恣意的に排除の論理で構成されたメンバーだけで・・・ 見切り発車した国民会議や、
さらには、あからさまに驕りが見えてしまった国会運営や、
緊張感を欠いてしまった国会審議を・・・ 国美香は期待していたのだろうか?
野党議員からの質問を、斜に構えて睨み付け、
ニヒルな含み笑いで、ぶっきらぼうに応じる総理を見ていて、
「なんか違うな。」と感じているのは・・・ 私だけではないとだろう。
「歴史は勝者によって作られる。」という史実が、これまでの習わしではあったが、
共産主義や覇権主義のような、武力と恐怖を背景にした国家ならいざ知らず、
さまざまな視点から記録が残される、21世紀の成熟した民主主義国家だということを、
自覚していただきたいと思うが・・・ 如何なものだろうか?
「政治家とは歴史という名の法廷で裁かれる被告である。」が口癖の元総理がいたが、
いまさらながら、こういった言葉に強い説得力と、妙に納得感を感じてしまうんだから、
やっぱり歴史に学ばなくちゃってことなのかも・・・ なんて、思ったりしている。
by tamajii1954
| 2026-02-28 04:00
| 爺のジジ放談
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