大河ドラマへのマインドセット
2026年 02月 04日
「今年の大河ドラマ(豊臣兄弟)は面白いね。」と女房が話しかけてきた。
私は「ふぅぅん、そうなの・・・ 。」と、あまり気が乗らない返答をしていた。
ただそれだけのことで、それ以上の会話は続かなかったが、
私は今年の大河ドラマ(豊臣兄弟)は見てないし、見る気がしないのである。
なぜかと言うと、大河ドラマに関しては、50代に入ったころから一つの拘りというか、
マインドセットがあって、だれが主人公なのかにもよるが、
時代背景が、平安の後期から関ヶ原に至る戦国ものについては、ほとんど見ていない。
因みにマインドセットとは、無意識のうちに持っている考え方の前提であったり、
捉え方に関する癖のようなものを意味しており、
ひらたく云えば、価値観と言った方が分かり易いかもしれない。
あくまでも主観的な考えになってしまうが・・・ その要因は、
日曜日20時の放映にあり、多くの家庭では食後か風呂上がりの寛いでいる時間帯で、
翌日の仕事や学校に向けて、心穏やかに過ごす時間帯であるはずなのに、
なんの因果で、興奮を助長する無慈悲な殺生を見なければならないのかに尽きる。
その無慈悲な殺生は、攻守の双方から捉えた、視点の違いがあるので、
単なる殺生だけじゃなく、知恵比べもあり、見どころがあることまでは否定しないが、
主たる要因は領地拡大という私利私欲であって、史実を学ぶことは大事ではあるが、
無慈悲な殺生を先導した者が、英雄扱いされることに、私は疑問を持っている。
早い話が、史実については学生時代に学び、粗方知ってるつもりなので、
それ以上の詳細情報と、映し出される無慈悲な殺生を・・・ 天秤に乗せると、
心穏やかに過ごす、週末夜の時間帯を割いてまで、
改めて見る必要性がないというのが・・・ 私自身のマインドセットである。
個人的な歴史観にもよるが、私利私欲で殺生を犯した者たちを英雄視するのであれば、
ロシアのキツネも、中国のタヌキも、アメリカのジョーカーも、イスラエルのサタンも、
喉元過ぎれば熱さを忘れるように、英雄になってしまうが、それで良いのだろうか?
彼らが目論む領土や領海の拡大は・・・ 数年後には世界地図(国境)になるのである。
大河ドラマの主役は、清盛、義経、頼朝から始まり、信長、秀吉、家康を中心に、
彼らを支えた名脇役たちの心の葛藤や、生き様を通して・・・ 歴史の功績が描かれ、
興味深い部分はあるが・・・ 視点を変えて捉えれば、
殺生の片棒を担いだ族であり、族の一味なのである。
一方で、明治維新の舞台に登場する主役や名脇役たちを見れば、同じ戦いであっても、
民のために政を変え、平等を得るという大義があったが、戦国ものにはその大義がなく、
攻めなきゃ、攻め込まれるという恐怖があったことは、致し方なかったと思うものの、
歴史を振り返って客観視すれば・・・ 私利私欲以外のなにものでもない。
秀吉は残忍であり、好きな武将ではないが、彼がやってのけた検地と刀狩りは、
後の租税制度と、安心安全の確保の先駆けになったし、
また、信長のやった楽市楽座は、規制緩和そのものであって、
両者ともに歴史的な功績があったことは・・・ 史実として認めざる得ない。
然は然り乍ら(さはさりながら)・・・ 彼らは何百人も殺めた人殺しである。
彼らが戦わずして功績をあげたのであれば、偉人に値すると思うが、
現実はそうではなかったし、多くの民が血を流し、
尊い生命を犠牲にした現実から・・・ 目を背けるわけにはいかない。
歴史は勝者によって作られ、史実として学んで来たが、
歴史には・・・ 功と罪があることも忘れてはならない。
そういった思いで、大河ドラマのストーリーに着目すれば、
功は巧みに描かれるが、罪には触れずじまいであり、
歴史の表(功)と裏(罪)を問いかけておらず、
それでは片手落ちになると思うが・・・ 如何なものだろうか?
さて、この国はいま・・・ 大義なき政権選択を求められている。
災害級の寒波が列島を襲い、家屋が倒壊したり、多くの人々が亡くなっている時期に、
争点が見当たらない総選挙を決断するに至った大義は、果たしてあったのか?
数年後、歴史はその問いに、応えてくれるのだろうか?
私は「ふぅぅん、そうなの・・・ 。」と、あまり気が乗らない返答をしていた。
ただそれだけのことで、それ以上の会話は続かなかったが、
私は今年の大河ドラマ(豊臣兄弟)は見てないし、見る気がしないのである。
なぜかと言うと、大河ドラマに関しては、50代に入ったころから一つの拘りというか、
マインドセットがあって、だれが主人公なのかにもよるが、
時代背景が、平安の後期から関ヶ原に至る戦国ものについては、ほとんど見ていない。
因みにマインドセットとは、無意識のうちに持っている考え方の前提であったり、
捉え方に関する癖のようなものを意味しており、
ひらたく云えば、価値観と言った方が分かり易いかもしれない。
あくまでも主観的な考えになってしまうが・・・ その要因は、
日曜日20時の放映にあり、多くの家庭では食後か風呂上がりの寛いでいる時間帯で、
翌日の仕事や学校に向けて、心穏やかに過ごす時間帯であるはずなのに、
なんの因果で、興奮を助長する無慈悲な殺生を見なければならないのかに尽きる。
その無慈悲な殺生は、攻守の双方から捉えた、視点の違いがあるので、
単なる殺生だけじゃなく、知恵比べもあり、見どころがあることまでは否定しないが、
主たる要因は領地拡大という私利私欲であって、史実を学ぶことは大事ではあるが、
無慈悲な殺生を先導した者が、英雄扱いされることに、私は疑問を持っている。
早い話が、史実については学生時代に学び、粗方知ってるつもりなので、
それ以上の詳細情報と、映し出される無慈悲な殺生を・・・ 天秤に乗せると、
心穏やかに過ごす、週末夜の時間帯を割いてまで、
改めて見る必要性がないというのが・・・ 私自身のマインドセットである。
個人的な歴史観にもよるが、私利私欲で殺生を犯した者たちを英雄視するのであれば、
ロシアのキツネも、中国のタヌキも、アメリカのジョーカーも、イスラエルのサタンも、
喉元過ぎれば熱さを忘れるように、英雄になってしまうが、それで良いのだろうか?
彼らが目論む領土や領海の拡大は・・・ 数年後には世界地図(国境)になるのである。
大河ドラマの主役は、清盛、義経、頼朝から始まり、信長、秀吉、家康を中心に、
彼らを支えた名脇役たちの心の葛藤や、生き様を通して・・・ 歴史の功績が描かれ、
興味深い部分はあるが・・・ 視点を変えて捉えれば、
殺生の片棒を担いだ族であり、族の一味なのである。
一方で、明治維新の舞台に登場する主役や名脇役たちを見れば、同じ戦いであっても、
民のために政を変え、平等を得るという大義があったが、戦国ものにはその大義がなく、
攻めなきゃ、攻め込まれるという恐怖があったことは、致し方なかったと思うものの、
歴史を振り返って客観視すれば・・・ 私利私欲以外のなにものでもない。
秀吉は残忍であり、好きな武将ではないが、彼がやってのけた検地と刀狩りは、
後の租税制度と、安心安全の確保の先駆けになったし、
また、信長のやった楽市楽座は、規制緩和そのものであって、
両者ともに歴史的な功績があったことは・・・ 史実として認めざる得ない。
然は然り乍ら(さはさりながら)・・・ 彼らは何百人も殺めた人殺しである。
彼らが戦わずして功績をあげたのであれば、偉人に値すると思うが、
現実はそうではなかったし、多くの民が血を流し、
尊い生命を犠牲にした現実から・・・ 目を背けるわけにはいかない。
歴史は勝者によって作られ、史実として学んで来たが、
歴史には・・・ 功と罪があることも忘れてはならない。
そういった思いで、大河ドラマのストーリーに着目すれば、
功は巧みに描かれるが、罪には触れずじまいであり、
歴史の表(功)と裏(罪)を問いかけておらず、
それでは片手落ちになると思うが・・・ 如何なものだろうか?
さて、この国はいま・・・ 大義なき政権選択を求められている。
災害級の寒波が列島を襲い、家屋が倒壊したり、多くの人々が亡くなっている時期に、
争点が見当たらない総選挙を決断するに至った大義は、果たしてあったのか?
数年後、歴史はその問いに、応えてくれるのだろうか?
by tamajii1954
| 2026-02-04 11:40
| 時のつれづれ
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