ブルー・ライト・ヨコハマ(昭和100年・逝きし世の面影)
2025年 12月 01日
久しぶりに・・・ 横浜で開かれた懇親会に行ってきた。
役職定年で現役最後となった勤務地が横須賀で、朝4時に起き5時過ぎの始発に乗って、
北多摩から電車とバスを乗り継いで、2時間半かけて通勤していた頃には、
職場の仲間に誘われて、週末は横浜で呑んでたので・・・ 16年ぶりの横浜になった。
当時のホームグラウンドは、いまもそのお店があるのか分からないが、
「横浜駅」の西口を出て直ぐ目の前の・・・ 狸小路だったが、
京浜急行の「日ノ出町駅」で降りて、桜木町方面に歩き、野毛に行くこともあったし、
一つ手前の「黄金町駅」で降りて、伊勢佐木町や馬車道の界隈で呑むこともあった。
同僚たちは、遠距離通勤だった私の帰宅時間に気遣ってくれ、
横浜スタジアムでベイスターズの試合があるときは、駅での混雑を避けるために、
試合経過を気にかけてくれてたので・・・ 深酒は出来なかったが、
21時を目途にお開きする健全な飲み会には、たくさんの思い出を作らせてもらった。
健全といっても、私はそれから約2時間かけて帰宅するわけだから、けっこう辛いが、
週末の金曜日にセッティングされることが多く、帰宅と同時にバタンキューで、
翌朝に目が覚めるまでは、夢を見る余裕も、余力も残ってなかった。
目覚まし代わりというのもなんだが、
土曜の朝に浴びた熱めのシャワーが、ことのほか心地よかったことも、
いまとなっては・・・ 忘れ得ぬ思い出になっている。
久しぶりに見る港町「横浜」の夜景は・・・ やっぱり美しい。
まさに、大ヒット曲から、いまやご当地ソングになった、
いしだあゆみさんの名曲「ブルー・ライト・ヨコハマ」の世界が目の前にあった。
私が中学校2年生だったころ、白黒テレビから聞こえてきた
ちょっと鼻にかかったハスキーな声で、手足で軽快にリズムを取りながら、
眩しいミニスカート姿で、いしだあゆみさんが歌う「ブルー・ライト・ヨコハマ」は、
瞼と耳元と脳裏に・・・ いまでも、しっかりと刻まれ記憶されている。
ヒット曲を飛ばした歌手であり、女優でもあった・・・ いしだあゆみさんだが、
昭和100年の今年3月、76歳で亡くなられている。
昭和23年生まれの団塊の世代だから、
まだまだ若いのに・・・ 惜しいし、残念で堪らない。
そう言えば・・・ もうかなり前のことになるが、
テレビドラマに出ていた、いしだあゆみさんを見た女房が、
ボソッと面白いことを呟いていたので、ちょっと記しておこうと思う。
同年代の女優さんたちの多くが、ヒアルロンを注入してシワ取りに懸命なのに、
顔や首筋にあるシワを、隠すことも気にすることもなく、
老いを潔く受け入れながら、相応の役柄を見事に演技されていて、
その振る舞いというか生き様に・・・ 「アッパレだね。」と、女房は呟いていた。
女性が女性を見る目は・・・ 厳しいと言われるが、
女房の呟きには、悪気がないどころか、
確かにその通りであり、なかなか侮れない視点だと感心したことがあった。
白黒テレビが全盛だった・・・ あの頃、
毎日のように歌番組が放映されていた・・・ あの頃、
裕福ではなかったが、子どもたちが元気だった・・・ あの頃、
あの頃から・・・ 平成、令和へと時を刻み続け、昭和100年を迎えた今年、
歌詞の訴えから伝わる臨場感と、曲から感じる温もりを求めて、
ディープな昭和歌謡が・・・ 若者世代を中心に、いま静かにバズっているらしい。
たぶん、いやいや・・・ 絶対に、絶対に、
「ブルー・ライト・ヨコハマ」もバズってると思うが、如何なものだろうか?
久しぶりだったが、ハマの夜風に吹かれ、夜景に目を移すと、
あのリズムと、あの歌声を思い出すんだから、
恐るべし昭和歌謡と言っても・・・ 過言ではないだろう。
ブルー・ライト・ヨコハマ (1968年 昭和43年)
作詞 橋下淳
作曲 筒美京平
歌唱 いしだあゆみ
街の灯りが とてもきれいね ヨコハマ ブルーライトヨコハマ
あなたと二人 幸せよ
いつものように 愛の言葉を ヨコハマ ブルーライトヨコハマ
私にください あなたから
歩いても 歩いても 小舟のように
私はゆれて ゆれて あなたの腕の中
足音だけが ついてくるのよ ヨコハマ ブルーライトヨコハマ
やさしいくちづけ もう一度
歩いても 歩いても 小舟のように
私はゆれて ゆれて あなたの腕の中
あなたの好きな 煙草の香り ヨコハマ ブルーライトヨコハマ
二人の世界 いつまでも

役職定年で現役最後となった勤務地が横須賀で、朝4時に起き5時過ぎの始発に乗って、
北多摩から電車とバスを乗り継いで、2時間半かけて通勤していた頃には、
職場の仲間に誘われて、週末は横浜で呑んでたので・・・ 16年ぶりの横浜になった。
当時のホームグラウンドは、いまもそのお店があるのか分からないが、
「横浜駅」の西口を出て直ぐ目の前の・・・ 狸小路だったが、
京浜急行の「日ノ出町駅」で降りて、桜木町方面に歩き、野毛に行くこともあったし、
一つ手前の「黄金町駅」で降りて、伊勢佐木町や馬車道の界隈で呑むこともあった。
同僚たちは、遠距離通勤だった私の帰宅時間に気遣ってくれ、
横浜スタジアムでベイスターズの試合があるときは、駅での混雑を避けるために、
試合経過を気にかけてくれてたので・・・ 深酒は出来なかったが、
21時を目途にお開きする健全な飲み会には、たくさんの思い出を作らせてもらった。
健全といっても、私はそれから約2時間かけて帰宅するわけだから、けっこう辛いが、
週末の金曜日にセッティングされることが多く、帰宅と同時にバタンキューで、
翌朝に目が覚めるまでは、夢を見る余裕も、余力も残ってなかった。
目覚まし代わりというのもなんだが、
土曜の朝に浴びた熱めのシャワーが、ことのほか心地よかったことも、
いまとなっては・・・ 忘れ得ぬ思い出になっている。
久しぶりに見る港町「横浜」の夜景は・・・ やっぱり美しい。
まさに、大ヒット曲から、いまやご当地ソングになった、
いしだあゆみさんの名曲「ブルー・ライト・ヨコハマ」の世界が目の前にあった。
私が中学校2年生だったころ、白黒テレビから聞こえてきた
ちょっと鼻にかかったハスキーな声で、手足で軽快にリズムを取りながら、
眩しいミニスカート姿で、いしだあゆみさんが歌う「ブルー・ライト・ヨコハマ」は、
瞼と耳元と脳裏に・・・ いまでも、しっかりと刻まれ記憶されている。
ヒット曲を飛ばした歌手であり、女優でもあった・・・ いしだあゆみさんだが、
昭和100年の今年3月、76歳で亡くなられている。
昭和23年生まれの団塊の世代だから、
まだまだ若いのに・・・ 惜しいし、残念で堪らない。
そう言えば・・・ もうかなり前のことになるが、
テレビドラマに出ていた、いしだあゆみさんを見た女房が、
ボソッと面白いことを呟いていたので、ちょっと記しておこうと思う。
同年代の女優さんたちの多くが、ヒアルロンを注入してシワ取りに懸命なのに、
顔や首筋にあるシワを、隠すことも気にすることもなく、
老いを潔く受け入れながら、相応の役柄を見事に演技されていて、
その振る舞いというか生き様に・・・ 「アッパレだね。」と、女房は呟いていた。
女性が女性を見る目は・・・ 厳しいと言われるが、
女房の呟きには、悪気がないどころか、
確かにその通りであり、なかなか侮れない視点だと感心したことがあった。
白黒テレビが全盛だった・・・ あの頃、
毎日のように歌番組が放映されていた・・・ あの頃、
裕福ではなかったが、子どもたちが元気だった・・・ あの頃、
あの頃から・・・ 平成、令和へと時を刻み続け、昭和100年を迎えた今年、
歌詞の訴えから伝わる臨場感と、曲から感じる温もりを求めて、
ディープな昭和歌謡が・・・ 若者世代を中心に、いま静かにバズっているらしい。
たぶん、いやいや・・・ 絶対に、絶対に、
「ブルー・ライト・ヨコハマ」もバズってると思うが、如何なものだろうか?
久しぶりだったが、ハマの夜風に吹かれ、夜景に目を移すと、
あのリズムと、あの歌声を思い出すんだから、
恐るべし昭和歌謡と言っても・・・ 過言ではないだろう。
ブルー・ライト・ヨコハマ (1968年 昭和43年)
作詞 橋下淳
作曲 筒美京平
歌唱 いしだあゆみ
街の灯りが とてもきれいね ヨコハマ ブルーライトヨコハマ
あなたと二人 幸せよ
いつものように 愛の言葉を ヨコハマ ブルーライトヨコハマ
私にください あなたから
歩いても 歩いても 小舟のように
私はゆれて ゆれて あなたの腕の中
足音だけが ついてくるのよ ヨコハマ ブルーライトヨコハマ
やさしいくちづけ もう一度
歩いても 歩いても 小舟のように
私はゆれて ゆれて あなたの腕の中
あなたの好きな 煙草の香り ヨコハマ ブルーライトヨコハマ
二人の世界 いつまでも

2009年3月26日、桜木町駅の近くで撮影した、横浜みなとみらい地区の夜景
「♪街の明かりがとても綺麗ね・・・ 」と、口ずさみそうになってくる光景だった。
こんにちは。
昭和歌謡のどんな曲がバズっているのでしょう?
そう言えば、私の歌う歌を娘は知ってると言います。
好きな歌手がアルバムでリメイクしてるそうです。
2009年の画像も良いですねえ。
奥様、なかなかの評論です。あっぱれ! りらJOY(light777g)
昭和歌謡のどんな曲がバズっているのでしょう?
そう言えば、私の歌う歌を娘は知ってると言います。
好きな歌手がアルバムでリメイクしてるそうです。
2009年の画像も良いですねえ。
奥様、なかなかの評論です。あっぱれ! りらJOY(light777g)
1
りらさん、こんばんは
現役時代によく飲んでたのは、勤務地の関係から新橋、有楽町、赤坂を中心に、
たまに羽を広げて新宿、池袋界隈でしたから、
唯一心残りになってるのは・・・ 銀座や渋谷で飲んだ記憶がほとんどないことで、
渋谷の夜、銀座の夜が話題にできず、残念で堪りません。
たぶんですが、写真のデータベースに
新宿の思い出横丁や、池袋の美久仁小路の写真があると思いますので、
暇があればその写真を探してきて、
懐かしの昭和歌謡に、どっぷり使ってみたいと思っています、
現役時代によく飲んでたのは、勤務地の関係から新橋、有楽町、赤坂を中心に、
たまに羽を広げて新宿、池袋界隈でしたから、
唯一心残りになってるのは・・・ 銀座や渋谷で飲んだ記憶がほとんどないことで、
渋谷の夜、銀座の夜が話題にできず、残念で堪りません。
たぶんですが、写真のデータベースに
新宿の思い出横丁や、池袋の美久仁小路の写真があると思いますので、
暇があればその写真を探してきて、
懐かしの昭和歌謡に、どっぷり使ってみたいと思っています、
by tamajii1954
| 2025-12-01 04:00
| 歌は世に連れ
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